復活へのあゆみ2

突然の脳幹出血発症から18年(2023年4月15日現在)復活への歩みの足跡

ちょっとした変化に即対応難しい

発症当初から、18年経った今でも、不意打ちに対応できないもどかしさがあります。今朝も、朝刊を取る為に窓を開けたら、近所の人が犬🐕の散歩と、ピッタリ合って、不意のことなので、驚いてしまった。その人は、ボクが倒れる前までやっていた自治会の活動に協力的な人で、今や、元気な頃のボクを知っているただ一人の人なのだ。なのに、驚いてしまって、失礼な結果となってしまった。こういう出来事は、今回が初めてではない。毎週のようにある。これも脳の病気の後遺症なのだろう。悔しい病気になってしまったものだ。予期せぬ事態が発生したとき、臨機応変に行動を変更することが難しく、しばらく時間をおいて、ようやく適切な対応が可能な行動がとれる場合がある。なんと、ややこしいことでしょう。

条件付き自動車免許の取得2

自動車免許更新のいろんな検査を受けて、途中に他の人とは違う検査がありました。適正検査と呼ばれるものです。受ける前は、どんな検査か知らないのでドキドキ緊張しましたが、いざ受けてみると、思ったより簡単で、安心しました。そこのいいところは、新しい自動車免許がその日にもらえることです。免許証をもらった時は、復職に近づいた気持ちになって、とても嬉しかった。免許証を見ると、中型車は中型車(8t)に限る。原付車は三、四輪に限る。AT車に限る。の3つの条件付きで、それを見て、障がい者と書いていないことが気に入りました。ここで大切なことを言い忘れていました。明石の更新所に行く前に、障がい者に自動車運転教習をしてくれる教習所を探して、実車講習を受けました。ハンドルにノブがついていたことは覚えていますが、あとのことは忘れてしまいました。覚えていることは、教官に褒められたことくらいです。その後、車を買って、家の近くで練習を重ねました。教習所の車と違って、自分に使いやすいように改良しているので、運転しやすいです。

条件付き自動車免許の取得1

仕事を続けていく為には、東京など都会以外の住人は、どうしても自動車通勤が必須です。ボクも休職中に、自動車免許の更新期限が来たので、明石の更新センターに行って来ました。それまでは、交通安全協会費を払って、地元で更新していましたが、明石更新センターでは、丁寧に尋ねてくれるので、出費を減らしたい願いから、協会費は節約しました。すると、申請書類をすべて自分で書かないといけなくて、立っていることすら、長くできないのに、立って文字を書くことを強いられました。でも、自分で選んだ道だと自分に言い聞かせて、下手なヒョロヒョロの歪み回った文字だけど、受付てもらえました。(続く)

プレッシャーに強かったのに

健常な頃は、本番に強く、観衆が増えれば増えるほど、実力以上の力を発揮していたものです。ところが、脳出血発症後は、正反対の人間になってしまいました。振り返ると、発症して間もない頃は、まだ発症前の自分を覚えていて、フライングディスク🥏大会の時でも、大きな大会になるほど、落ち着いてプレーできたものでした。ところが、時間が経つにつれて、発症前の自分の良いところを忘れてしまって、プレッシャーに負けてしまう人間になってしまったのです。それが、残念でなりません😢。でも、18年地道に努力を重ねて、ようやく、健常な頃の自分の良いところを思い出し、自分の良さの発揮の仕方を思い出して来ました。それは、簡単に言えば、集中力です。集中するということは、自分だけの空間を作ること。周りにどんな人がいても気にならない、自分だけの空間に入り込むことです。そのためには、練習を積み重ねて、心の引っ掛かりを取り除き、結果を気にせず、自信持ってプレーすることです。それが、脳細胞の一部が消えてしまって、わかっていても改善できないジレンマがあります。このことは、障がいがあるなしに関わらず言えることではないでしょうか?ただ、大きな違いは、健常な頃は、意識しなくても普通にできていたのに、今はそうではないということです。そこが、難しいところです。意識すれば、余計プレッシャーがかかるジレンマが起こる。その克服のために、リハビリに励みました。

パラレクのすすめ

パラレクという言葉は、今初めて使った言葉なので、間違わないよう願います。その心は、障害という言葉を使いたくないので、せめてもの抵抗で、障がいと、ガイをひらがな表記にしています。さらに、障がいという言葉自体が気に入らないので、パラ、という言葉を使うことを覚えました。これからドンドン広まっていくことを期待しています。さらに、障がい者スポーツをパラスポーツというように、社会で広まっているのを参考にして、レクリエーションと絡めて、パラレクという言葉を考えました。ひょっとして、すでに社会で広まっている用語かもしれませんが、もしまだなら、みんなで広めましょう。パラスポーツとパラレク。これからは、そう表現しましょう。そこには、パラとなっても不屈の精神で生きる当事者の願いや頑張りなど、いろんな想いが込められています。

パラスポーツでもパラレクでも、呼び方はどうでもいいのです。突然障がい者となった者にとって、スポーツとかレクリエーションとか呼ばれることをプレーしたことが嬉しいのです。プレーを見ると、俗な言葉でいうと下手でしょう。そんなことは関係なし。とにかく、そう呼ばれる場に自分がいることが嬉しいのです。そこから、目的ややる気が出てくるのです。リハビリにもより熱心に取り組みます。スポーツやレクリエーションには、そういう力があるのです。

パラスポーツのすすめ

休職は3年間できます。たまたまお世話になった介護施設が、障がい者スポーツ、今でいうパラスポーツに熱心な施設だったのが、幸いでした。そこで最初に教えてもらったのが、フライングディスク🥏でした。お手本を見せてもらって、いざ投げてみると、ディスク🥏は、ポトリと真下に落ちました。でも、スポーツと名のつくものをプレーしたことには違いありません。嬉しくて嬉しくて、もう一枚投げました。また、ポトリです。それから、5メートル先のリングにディスク🥏を通す為には、どうすればいいのか、考え、プレーし、を繰り返しました。週一回だけの機会なので、上達までには相当の時間がかかりましたが、あれから18年経った今では、真っ直ぐに勢いよくディスク🥏を投げられるようになっています。今では、ボッチャが面白くなり、週一回、一時間ほど、一人でボッチャの練習をしています。これらの取組から、知らないうちに、身体のいろんな部位を使い、鍛えていることになります。これを読んでくれた障がい者とその関係者の方々には、ぜひパラスポーツと触れ合って、自分のできるパラスポーツを見つけて、それらの取組の中から、失った機能回復とか、現状の機能向上に活かして欲しいと願います。

 

大谷翔平選手から学ぶ

dブックで、大谷翔平選手のことを取り上げた本を読んでいる。大谷翔平選手は高校の時に、いい指導者と巡りあえて今日があるのかも?と思った次第だ。実際には、たくさんの人がその人の指導を仰いだのだから、その指導者が大谷選手を生んだとは、大げさな気がするけど、生徒のことを考える指導者であったのだろう。大谷翔平選手のことは、並大抵の人ならそこまでできない努力をしているからこそ、あんなにすごいことを、楽しそうにプレー出来るのだろう。大谷翔平選手は、今や世界が注目する選手になった。しかし、その名声は勝手に舞い込んだものではない。たゆまむ自己管理とトレーニング、身体のメンテナンスなど、生活のすべてを野球⚾️に打ち込んで得た名声なのだ。みんなが不可能と決めつけていたことを、実際に成績を伴って実現した大谷翔平選手に、心❤️からの敬意を表します。今後とも、ますますのご活躍を期待しています。

ボクも、大谷翔平選手のたゆまむ努力に励まされ、大谷翔平選手と比べるのは、レベルが違いすぎておこがましいが、自分が楽しく取り組める努力を、今後も続けたいと、心❤️に秘めた次第です。

 

覚えていることが前後している。

脳の病気になって18年経とうとしています。そのことについて今思うことは、記憶がバラバラで残っていることです。普通、健常者なら、時系列に沿って思い出すことができるけど、脳の病気になったら、覚えているだけで大したものなのです。ただ、覚えているといっても、時系列はバラバラで思い出すものだから、厄介です。それが本人は、全く気がついていないから、困ったものです。そのことには、数年前に、薄々気がついていますが、すぐに忘れて、同じ話を新鮮に話していることが、未だにあります。困ったものです。その対策として、会話の前置きとして言うフレーズがあります。前にも言ったかもしれませんが、です。本人は気づいていないから、厄介で、しょうがありません。でも、人との会話は生き甲斐であります。ここは、健常な人達の暖かい心❤️にすがって、許してもらいたいと希望します。

励ましのメッセージをお待ちしてます。タイトルが出ないぐるーぷがある。

まだまだ経験談は続けられるはずですが、ここで気になることがあります。実は、ボクはパソコンとかの情報機器が好きで、相当のお金を使って来ました。その自分が、発症当初は好きなパソコンのスイッチの入れ方がわからなくなっている現実には、悲しい思いをしました。それが、ボクの体験を知るだけでも勉強になるとの現役大学生の言葉を間に受けて、このブログを始めた訳です。多くの人に知って欲しいとの願いから、今では4つのグループに入っています。ところが、不思議なことに、一番最初に繋がったブログが、ボクのスマホでは、まだ有効になっていないのです。他の2つは、順位が出るのに、一番最初に繋がったブロググループ

と最後に繋がったブログのグループ内順位が出ません。未だに案内だけです。それでも、順位ランクには、復活へのあゆみ2、とボクのタイトルが表示されています。表示されているのに、操作では、その初期の案内が出ているのです。これは、どうすればいいのか?どなたか、コメントにアドバイスしていただけませんか?よろしくお願いします🙇‍♀️

パラスポーツのすすめ

ボクが障がい者となってから、リハビリに真剣に取り組むようになったきっかけは、2006年に兵庫県であった障がい者の国体、全国障害者スポーツ大会の閉会式に連れて行ってもらったことです。会場に着くまでは、障がい者の閉会式とは、暗いものかなぁ?活気があるのだろうか?と、マイナスイメージで予想していました。ところが、会場に着くなり、その予想は覆りました。熱気ムンムンで、どこでもある堅苦しい挨拶の後、記念イベントとして、兵庫県に関係のあるタレントがゲスト出演していました。そのラストを飾るのは、ボク達世代のスター、南こうせつさんでした。こうせつさんのユニークな語りに乗せられ、ステージの周りには、歩けるパラアスリートが集結しています。集結しても、障がいの為、舞台上には上がらないことが分かっているのか?それとも、みなさんルールは守る人達と信じてもらっているのか?舞台上でこうせつさんに迷惑をかける人はいませんでした。それより、舞台下まで集結した選手たちを歓迎するかのように、こうせつさんの歌は、明るく楽しいテンポの歌が続きました。車椅子で参加していたボクは、遠くからそれを見ているだけだったけど、熱気ムンムンでフィーバーしている人達の姿を見て、自分もリハビリを頑張ろうと意欲を持てました。この時がきっかけで、リハビリを頑張り、障害者スポーツ指導員の資格とフライングディスク🥏指導員の資格も取りました。フライングディスク🥏の練習が楽しくて、週1回の練習が待ちきれないほどでした。この日がきっかけで、今日のボクがあります。スポーツと聞くと、できるかなぁ?と不安に思う人も多いと思います。しかし、安心してください。履いてますよ、ではなかった、安心してください。障がいを考慮して、健常者のスポーツが基本にネーミングされていますが、やってみると、簡単にできるスポーツがたくさんあります。それと、スポーツと呼ばれることをやっていると考えるだけで嬉しくなります。近くの県立など公立の施設で、スポーツという言葉が使わらている施設を探して、見学してみたらどうでしょう。

介護認定について

ボクが倒れた2004年は、運悪くというべきか?国が保険制度の安定化を目指して、介護保険制度を始めた時でした。実際に制度が施行されたのは、2005年7月からでした。倒れてからは通常の保険が適用されて、3割負担で、高額負担になる時は、救済措置が施される、普通の対応でした。それが、患者から見ると、負担が増える改悪施行された最初の月に介護認定、障がい者認定されました。2級だけど、その後、何度かの認定診断を受けて、そのたびに、1万円弱の負担金が発生しました。😅困ったものです。今は、障がいの状態がこれ以上改善しないとわかってくれて、余計な金銭負担が消えました。復職に向けて、介護保険の適用になっていることは、どうか?と自分で判断して、病院の相談員のアドバイスも参考にして、復職を機会に介護認定は返上しました。お医者さんに尋ねたら、別に返上しなくても復職はできるそうです。ただ、介護認定には、認定された度数に対応して、負担金が発生するので、返上して正確だったと自分では思います。今は、2級の身体障がい者だけど、介護認定はさらていないということです。ややこしい説明になっていて申し訳ありません。介護保険も、患者数が増えているので、財政維持の為、負担金が高くなっている傾向にあります。みなさん、できるだけ、健康的な生活を送ってください。なお、ここに書いた内容は、患者の立場から知ったことを書きました。書いた内容が、正確かどうかはわかりません。あくまで、患者がそう受け止めていることとご理解願います。

簡単なひらがなほど上手く書けない

右麻痺になってしまったので、どうしても左手で書かないといけない。病院のリハビリや夕食後の病院の食堂で、読む練習と書く練習をしました。読むことは、すぐに吃ってしまうし、書くことは、鉛筆✏️の持ち方から、どう持つのか?よくわからないのが正直なところです。鉛筆を持てるようになっても、今度は筆圧が力が出せないで困りました。いくら書いても、薄い文字らしきものしか書けません。それでも挫けず、復職という目的があるおかげで、常に前向きに練習できたことは、今振り返れば、ラッキー✌️だったと思います。もし、退職してから脳の病気になっていたら、あんなに熱心に読み書きして、努力しなかったでしょう。このブログを読んでいただいている脳の病気の本人は、多分ベッドの上だろうから、連れ合いさんやご家族などにアドバイスしたいことは、もし失語症とか片麻痺とか、思わぬアクシデントに見舞われたとしても、今の医学は、命は助けてくれる。あとは、残された身体機能をその本人の病状に沿って、世間一般の常識はリセットして、その本人の病状に沿って対策を考えて、リハビリすることだと思います。一般的なリハビリは、病院でやってくれるので、その時は出来るだけ頑張ってリハビリして、気長に同じことを繰り返し練習することです。他の人が見たら、同じことに見えても、本人には新鮮なリハビリなのです。それがいつしか実を結び、前より一歩進んだ姿が見える時が必ずきます。ボクの場合では、当時健在だった実父が毎日病室に来てくれて、寝ているだけのボクの右手をバンザイのように上げたり、素人ながら動かしてくれたのが、今、だんだん動くようになっていることです。どうやら父は、時々病室で手を動かしているPTに教えてもらって、動かしてくれていたようです。病状は人それぞれ違うので、あなたもやってみたら?とは言えませんが、病院で出会ったPTに、と言っても何のことかもわからない人が多いでしょうから、とにかく、病院で本人に何かやってくれている人を見かけたら、積極的に質問して、アドバイスをもらうべきです。仮に、相手がイヤがったら、質問の仕方が下手だったのか?素直に引き下がることです。しつこいと、病院を追い出されてしまうからです。そして、一番の薬は、時間です。焦らず、コツコツと、毎日毎日同じことを繰り返す、これが基本です。

ひらがなでいえば、簡単に思える字ほど、正しく書けないのです。い、という字は簡単だけど、正しく書けません。鏡に映した文字になっているのです。左右逆になっているのです。う、もそうです。わ、もそう。専門的には、鏡文字というらしいですが、初めて書く時には、多くの文字が、鏡文字になっていて、逆に書いてしまっているのです。それも、誰もが経験する通過点なので、焦らずに腐らずに頑張りましょう。

 

脳の病人が出たら家族がすぐに

脳の病人が出たら、ワイフなどパートナーは、すぐに、銀行口座の管理を銀行と交渉して管理権を移しておかないと、大変な事態を招きます。ところが、それがそう簡単にはできないのです。本人が倒れてしまって、自分で管理できないということを、銀行にわかってもらう術がないのです。法律で、なんとか救済措置できるものを作ってくれないだろうか?その一端は、昨日のつぶやきに書いたので、よろしくお願いします🙇‍♀️本人には、本人独特の計算で金銭管理をしています。それが、突然の脳の病気で意思の伝達回路を遮断されてしまったときは大変です。だから、パートナーや家族は、途方にくれるのを乗り越えて、患者の金銭面でのことを把握しておかなければなりません。ところが、急病で自力で金銭管理ができなくなってしまったときの救済措置がわかりません。あるいは、出来ていないのかも知れないし、行政や政治家の怠慢なのかも知れません。あるいは、国民保護ときれいごとだけ吹聴する一部の集団の企みなのかも知れません。疑いだしたらキリが ありませんが、本人がどうしようもできない状態に追い込まれたときも、救済策がないといってもいいでしょう。それが、2004(平成16)年の現実でした。その後、どう改善したのかはわかりません。どうか、みなさんも、自分が万一不慮の事故等で意識不明の状態になってしまったときの金銭管理についても、考えて見て下さい。本人が倒れて入院しているその時にも、口座からは着々と使った分としてお金が引き落とされ、残高がマイナスになっても規約通りに引き落とされているのですから。

 

初めての入院。

初めての入院は、本人は脳の病気なので、自分の現状のことも正確には思っていません。こんなに重症とは思ってもいません。ただ、ワイフは、一人途方に暮れ、人と話すことが好きな人だけに、ボクのことは話題に出来ず、😥苦労があったと想像します。脳の病気で入院している時は、本人よりワイフや家族が、相当の心の負担を強いられていることへの、救済策が必要です。それは、大きく分けて二つに分かれます。一つは、直接的に本人を救済すること。もう一つ、置き去りにされていることが、本人が元気な時に、利用していたクレジットカード決済の問題です。本人は、健康に働き続ける前提で、支払いをカード決済で行っていました。ところが、急に倒れて、意識も40日ほど朦朧としている状態で、カードの支払いのことは、ただ、銀行口座から引き落とされるのみで、誰も知らないものだから、ついにはマイナスになり、取立が激しく、恐怖🫨に近いものになってしまうことが目に見てえるようです。カード会社や銀行は、契約者が急に支払いがマイナスになっているとかの心配な状態になっているかもと、心配される事態を察知したら、救済措置を講じるべきです。あるいは、職場内で、急病人が出たら、ボクの場合でいえば校長がカード会社に問い合わせをして、カード引き落としの延期措置をとるとかの救済措置をするべきです。校長がたくさんあるカード会社に問い合わせるのは、大変なので、国がそういう救済の機関を設置して、そこから、審査の上、認められたら救済措置として、口座凍結、入金のみ可能とか、本人が自力で口座の管理をできないと判断された時には、ワイフに管理権が移り、カード会社は、5年間請求停止とかの救済措置を作っておくべきです。これは、体験した者の本音です。銀行口座の管理のことやカード会社への支払いで、恐ろしい取立を経験したようです。ワイフの話で一番に出てくるのが楽天という言葉ですが、今ラジオで盛んに過払い金請求のことが流れてくるので、調べてもらっていますが、時々入ってくるメッセージメールでは、過払い金なしの報告ばかりです。世の中、庶民生活とかけ離れた救済措置をとっているのか?と不信になります。それより、楽天は信頼できるとの回答が、最初からあるのが気になっていて、救済措置の中見を、もっと現実にそうものにできないものか?政治でも考えて欲しいと願うものです。

ろれつが回らない感じがすれば要注意

繰り返しになりますが、ろれつが回らない感覚を感じたら、要注意です。本人には、わかるはずです。そういう人がいたら、即、食生活の改善を提案します。普通なら、正常な人は、そんな感覚すら感じないのです。だから、それは脳の病気の最初の赤信号といえます。そういう症状が出たら、自分の食生活に偏りがあるとかの理由が必ずあるはずです。ボクの場合は、偏食が激しく、肉類しか食べていませんでした。それが、30年40年と時間が積み重ねていく内に、脳では、軽い脳出血をしていたのです。それを深刻に受け止めていなかった結果が、あのMRIの検査中に大々的に脳内隅々まで届くほどの、強烈な出血をしてしまったのです。たしかに、あの時は、偶然出会った担当医が、1回の検査でその夜は様子を見て、翌る日に再検査するとかの判断をしてくれていたら、こんなにひどい結果にはならなかったとは思えます。しかし、自分の食生活を振り返ると、自分は、ここまでに追い込まれないと気がつかなかっただろうとも、思います。だから、すぐ未来を見据えて生活することができました。未来を見据えてと言うとカッコいいけど、実際は、何も自分だけではできない人間に、なっていました。そういう事実すら理解できない人間になっていたのです。哀しいお話です。