復活へのあゆみ2

突然の脳幹出血発症から18年(2023年4月15日現在)復活への歩みの足跡

大好きなパソコンを持ってきてもらったのに

発症当時、パソコンが好きでした。というのは、まだ、小学校にパソコンが普及していない時期に逆上ります。県立社教育研修所で、パソコン研修が、年6回だったかの計画でありました。まだ、パソコンが世の中に普及していない時期のことです。校長に指名され、ぼくも参加しました。元々視聴覚機器関係が好きだったので、ぼくにピッタリの研修でした。そこでは、学期中は3日、夏休みには1週間、みっちりと研修できました。まぁ1983年のことだから、ウィンドウズもまだ出ていません。プログラミング言語を駆使して、パソコンを動かす時代です。その研修のおかげで、後にウィンドウズ95が発売されたときも、その後の今に至るまで、パソコンの機能は便利になったけど、中身はプログラミング言語で動いているので、同じだと思っています。ネットリテラシーとか、ネットの基本的なことは、その時に教わりました。このときは、20年後に自分を助けてくれるとは思ってもいませんでした。

話を入院して始めてノートパソコンを持ってきてもらったときに戻します。

待望のノートパソコンを持ってきてもらって嬉しい嬉しい。ところが、問題はそれからでした。ノートパソコンが目の前にあるのに、次どうしたらいいのかが思い出せません。記憶がなくなっているのです。さて、次はどうするのだろう?考える力もなくなっているので、全く思いつきません。それより、思い出そうと脳を活動させると、頭が痛くなってきます。今から振り返ると、脳細胞シナプスが脳内で伝達回路を探して、一部回路が無くなっているので、そこで脳自体も混乱して別の回路を探したり作ったりしていることが、頭が痛いという形で出てくるのだろうと思います。翌日、見舞いにきてくれたワイフに、ノートパソコンのことをいうと、パソコンのことがわからないワイフでも、開け方は知っていました。ノートパソコンを左手だけど開けたときは嬉しかった。得意だったパソコンも、左手だけで操作するのは大変です。今でこそ、疲れることなく操作できますが、当時は、エンターを押すのにも一苦労でした。エンターキーの位置が左手からは遠い位置にあるのです。両手が使えたころは、ブラインドタッチと同じくらいキーボードを見なくてもタイピング出来ていたのに、当時は、左手だけで、すぐ疲れて10秒も持たない感じでした。左手がとても重く感じるのです。でも、キーを触っているだけでも、嬉しいです。18年経った今でも左手だけなので、タイピングはゆっくりです。このはてなブログも、普段はスマホで打っておき、グループ貼付が、パソコンしかできないので、最後はパソコンで仕上げてアップしています。