復活へのあゆみ2

突然の脳幹出血発症から18年(2023年4月15日現在)復活への歩みの足跡

高校の同級生が助けてくれた

高校の同級生が助けてくれたというと、いい話だけど、結果的にそうなったというのが正確です。高校卒業以来、ずっと同窓会長を務めていました。活動内容は、年1回、5月頃母校で開かれる常任幹事会に出席することと3年に1回ある総会に出席することとお世話になった母校出身の先生が転退職される時に出席することなどです。一度は辞めさせてと言ったものの、自分からすべてが奪われる悲しみもあり、ボクの身体の実態が理解できないのか?幹部の人たちは、簡単には辞めさせてくれません。たぶん名前だけでいいので、会長でいろということだったのだろうと、今振り返るとわかるけど、その時は、会長というからには、その勤めを果たさなければとの使命感から、休職中に、転退職する母校に勤めている人がいたので、送別会に案内されました。心に余裕がある時なら、副会長や過去の同窓会で世話役をしてくれた人に相談すると思うけど、その時は、そんな余裕がなく、自分一人で悩み、結果出席しなければ同級生の顔に泥を塗ることになると思い込み、出席の返事をしました。問題は、当日です。お酒も飲むので、バスで姫路まで行きました。電車に乗る勇気がなかったのです。姫路駅から、会場まではタクシーで行きました。会場に着くと、2階だと言われました。ふーふーいいながら、なんとか歩いて、2階の会場につきました。中に入ると、同級生が何人かいました。そこのテーブルに案内されて、懐かしい話に花を咲かせました。母校には、その時、転出する先生の他にも、母校に勤めている同級生が数人いたのです。そのことがわかっていたら出席したかどうかはわかりませんが、27回生同窓会長はボクだけなので、出席して良かったと思っています。それより、苦労した😥けど、結局すべてがリハビリになっていたと、振り返って思います。しんどかったけど、最高のリハビリをさせてくれた同級生に、感謝、感謝です。普通は、家でリハビリらしきものをするだけなので、外に出ると思わぬところに試練が張り巡らされていて、それを、乗り越えたことは、復職に向かって大きな自信となりました。